当たり前になってない?自分ばかりが、負担を負い続けるストレスに

当たり前になってない?自分ばかりが、負担を負い続けるストレスに

なぜ、自分ばかりが?

 
こんにちは。Ricorissリコリスの、りこです。

今回は
自分ばかりが、負担を負う状況が多い。
それがまるで「当たり前」のような雰囲気があり
ストレスを感じている方へのお話です。
 
 
関連記事
損な役回りを、背負っている気がする。どこか微妙な役割を、引き受けている方へのお話
 

 
 

昔、タイで

 
子象と記念撮影をしたことがあります。

 
その子象は、撮影待ちの観光客の列の先に
尻もちをつくように座らされていて
 
撮影の順番がくると
子象の横に立つよう言われたのですが
その瞬間、ドキリとしました。
 
 
子象とはっきり、目が合ったのです。
 
 
 
タイのツアー、愛らしい子象と写真撮影。

マスコット的に、愛でられていた象と
目が合った瞬間

「この子には感情があり、生きている現実」
ふいに目が覚めました。
 
 
と、その瞬間 子象が突然、逃走。

呆然としていると
子象は 数10メートル走りだした後
いきなり立ち止まり、用を足し出しました。
 

「トイレに行きたかったのか…」

その後、子象はタイ人のスタッフに
棒でつつかれながら戻ってきて

また同じ位置に、座らされていました。
 
 
あのタイ旅行で、他にどこを訪れたかは忘れても
あの子象が忘れられないのは

トイレに行くのもままならず
同じポーズで撮影していた、子象の幸福感が
守られていたのか、わからなかったからです。
 
 

私たちも、あの子象のように

 
自由は制限され、何かを背負わされ
気がつくとそれが
「当たり前」になっている状況はあります。

 

たとえば幼い頃から、人の面倒をみたり
ケアする役割が多いと

大人になっても、職場や対人関係で
その延長のような立場を、背負っているケース。
 
 
そういう方は情の厚さや、スキルもあるため
責任や業務が、回ってきやすい。

気がつくと
抜け出したくても、逃げられない状況に
はまっていることも多いです。
 
 
にもかかわらず、明らかに度を超えた内容でも
実直にこなし続け、けれど限界はやってきます。

ある時、善意や責任感に包まれていた
この人に壮絶な疲れや、怒りが湧き上がり
ふと気づくのです。
 
 
「なんだよこれ。自分がどれだけ苦労してても
周りはまったく、気にしちゃいない。
私のことはいつだって、ないがしろじゃないか」

 

 
自分の権利に目覚める時はいつでも
強烈な怒りが、やってきます。
 
 
ですがその怒りは
不当に飼い慣らされているような状況から

「自分を解放させる力」
変換させる必要があります。
 
 
そしてこういった状況下では、もう1つ
「自分に問いかけること」があります。
 
 

「私がやらなきゃ」を捨てられる?


同情心や、責任感が強いと
周囲を切り捨てるのが難しく、結果的につい
救いの手を、差しのべてしまう場合があります。
 
 
ですがやたらと苦労性の方の場合、心理の世界で
フォーカスが当たるのは、この先です。

「だって結局、私がしないと」
「全て私にかかっている」
「私が助けない限り、終わってしまう」

そういった観念を、無意識的に
握りしめていないか、問いかけてみて下さい。
 
 
というのも、こういった思いが意識の底に
鎮座している限りは

「私が介助しないと、全てが終わる状況」
実際にやってきてしまいます。
 

時には、自分に比重のかかる業務を
こなさなければならない状況はありますが

  • それが長期的に続いている
  • 幸福感も何もなく
    干からびているような自分がいるなら

「私がともかく、引き受けないといけない」

一見善良に思える
この呪縛にかかっていないか
自分に問いかけること

 
誰が1人が、身を投げずとも
世界がまわる環境のほうが健全で

その環境を作るためには、それ以上
自分からあえて、手を出さない意識も必要です。
 
 
とは言っても
「そんなこと言ったって、結局自分が
やらなきゃいけないんだから」

引き戻される状況は、続くかもしれませんが

意識の上で「結局、自分がやらねば」の想念から
いかに自由になれるかも

実は「隠れた鍵」となっています。
 
 

タイで出会った、あの象は

 
あの写真撮影によって
生計を立てていたのかもしれません。
 
 
「この子は、あとどの位
観光客と写真を撮ればいいんだろう」

 
記念写真の自分は
焦点の定まらない顔を浮かべていました。


 
あの日、トイレに駆け出したあの子象が

そのまま駆け出して行けたら
どうなるだろうと想像します。
 
 
自分がいる心理の世界は

鎖で繋がれたような象が
「自分の生活なんて、こんなものだ」
諦めた世界に

もう一度手を伸ばす力を、思い出すためのもの。
 
 
「こう生きていきたいんだ」と願う場所へと
駆けていく力を、育てるためのものです。
 

 
子象の後ろには、木の棒を振りおろしながら
「戻ってこい」と叫ぶ人間がいて
 
けれど象はそのまま
自分を制約するものはない地へと、駆けていく。
 
 
そこは「自由」と呼ばれる場所ですが
そこには、象牙を狙うハンターもいれば
厳しい生存競争があり

自由は 自分を救ってくれる
優しいだけの場所ではありません。
 
 
 
けれど駆けて、駆けて、駆けぬけて
 
その目に映るのは、自分をせっつく木の棒でも
自分を憂う、人間の顔でもなく
 
 
際限のない空の、青の青であることを願います。
 

 
 
 
 
 

もやし
ぼくも一緒に走るよ
ねぎ
ジャマだよ

 

最後に


こころを悩ます人間関係に、疲れている。
ネガティブな思いが、頭をめぐり続けている。
 
 
その繰り返しから、もう自分を自由にさせたい。
 
 
人間関係を、自分自身を見つめ直し

今の状態をリセットしたい。
自分の内側を癒す、確かな時間を持ちたい方は
オンラインコースをどうぞ

 
 
関連記事
人に甘えられない、頼れない。一人で頑張りながらも、こころは疲れている方へ

 
 

Profile image
心理カウンセラー/サウンドセラピスト

詳細を見る

「自分を思う時間」を、大切にするメルマガ

「生き方を、ゆたかに」メルマガ配信中

   ●メルマガ限定のコラム
キャンペーン情報を、含む

「自分をどう、生きたいか」
一息ついて、自分を思う時間を作りたい方へ

のんびり配信の、メルマガをお届けします
「自分を思う時間」を、大切にするメルマガ
TAG index

 

TAG index

TAG index

 

TAG index

 

error: Content is protected !!