みなさん「この人、本当にわかってない」と
相手の無理解に
イライラしたことはありませんか?
自分の言い分を理解しようともせず
尊重する気もない。
今回は最も難しい問題の1つ、
自分をわかってくれない相手に対する
怒りについてのお話です。
わかる気なんて、そもそもないよね?
昔、度を超えた会社の繁忙期に
日々の残業疲れで、疲弊しきった同僚と一緒に
チームリーダーのデスクに向かい
「そろそろ本当にやばいです」と
申し出に行きました。
自分たちの渾身のSOSを
リーダーはきっと、わかってくれるだろう…
と思いきや彼は、淡々と言い放ちます。
「何がどう、どのくらい忙しいのか
業務内容と、時間配分とを数値化した
データ資料をまず提出してほしい」
昔、友人が教えてくれました。
同じ青でも、見ている人の色覚によっては
全く異なる青を見ているのだと。
だから異なる理解を持つ他者には
自分が一体、どんな青を見ているのかを
より具体的に伝える必要があるのでしょうが
「忙しさを数値化しろ??」
忙しいって白旗振っているのに
さらに残業して、資料を作れと?
家でパートナーに
「忙しいから手伝って」って言われて
「忙しさを数値化した資料をまず作れ」
って言ったら、家庭は火の海になるでしょう。
リーダーとの話し合いを終えた後
賢そうな理屈を並べながら、自分たちの声を
亡き者にしている印象さえ受けるリーダーに
ひどい怒りを感じたのを覚えています。
要するに最初から
自分たちの思いを、尊重する気はないのだと。
「私を理解し、尊重しろ」
そう会社で感じた怒りは
世界で不穏な状況を作り出している
あらゆる問題の背後に
亡霊のように潜んでいる気がします。
「どうして自分の考えをわかってくれない?
理解しようとしない?
私を大切にする気はないんだね?」
カウンセリングでも
問題に迫っていくと姿を現しはじめるのは
上述の意識が混ざった、亡霊だったりします。
この世界を生きる以上、他者からの無理解や
尊重のなさに、みんな無傷ではいられず
人生のあらゆる局面で傷ついた
「自分をわかってもらなかった痛み」は
こころの中で、炎症をおこし続けます。
理解されなかった果てに
亡霊は燃えさかった激怒や苦痛を
他者に贖わせようとするケースもありますが
残念ながら、怒りの炎症を消す水を
他人は持っていません。
その水は自分のこころの内側から
くみ上げるしかなくても
「誰のせいで、火だるまになったと思ってる」
そう叫びながら他者に詰め寄り
自分の苦痛に、水を浴びせるよう求めます。
目は血走り
もはや何の理屈も通じない、怒りの亡霊は
「自分を尊重しなかった罰」として
全てを焼き尽くそうとしますが
その対象の1つに
地球そのものが含まれ始めたことが
今世紀最大の不幸です。
2人の人間がお互いに
「自分をわかってくれない」
と叫ぶ亡霊に取り憑かれていては
人間関係の問題は複雑化するし
自分に非や、歪みがあるせいで
他者からの理解の扉が閉ざされていても
「この人私を理解しない、受け入れない」
の1点張りで、病的に攻撃を始めるような状況も
昨今、増えている気がします。
権力を持つ立場にいる方こそ、命懸けで
自らの亡霊に注意して欲しいと願いますが
世間では、亡霊なんて数値化できないものは
亡き者にされるのも、もう1つの不幸です。
「やたらわかってもらいたがる人」
って、いますよね〜
と私たちも時折、呆れ顔で他者を笑いとばし
自分を度外視する傾向がありますが
誰も例外はありません。
わかってもらえない
受け入れられない
私たちのこころに取り憑く亡霊の苦痛を
亡き者するほどに、亡霊には力が与えられ
それが本体の意識を上回る頃には
犯罪のカウンターに、また1つ数字が刻まれます。
人間の深層意識を
本格的に降りていったことのある療法家なら
その絶望的な狂気を、見たことがあるでしょう。
だからこそ世間様に「そろそろ本当にやばいです」と
申し出なければなりません。
理解されなかった後
リーダーめ、首を洗って待ってろ的に
作りはじめた数値化の資料作りは
繁忙期も落ちつき
みんなどうでも良くなってきたのも手伝って
途中で頓挫した気がします。
今思えば、元々リーダーは
数字と分析に突出していました。
だからこそ、より論理的な業務改善を行うために
業務状況を具体的に俯瞰できる資料を
私たちに求めたのではないかと思います。
頭ごなしに部下の意見を否定し
遮断する人ではありませんでした。
繁忙期中の資料作りは、やはり現実的ではないし
重箱の隅を突くような、過剰な行為に見えても
時間をかけ、自分たちが仕事で日々
鍛えている分析力を生かし
忙しさを数値で「見える化」する。
そうして潜在的にあった、仕事のロスを切り崩し
再びやってくる、繁忙期に備えられないか──
リーダーはリーダーなりの渾身の提案を
行っていたのではないかと思いました。
当時、私たちの亡霊の怒りは強く
たとえリーダーに何を言われても
「ふざけるな!私たちを尊重しろ」
と燃えさかるばかりで
建設的な相互理解に辿りつけませんでしたが
今はわかります。
曖昧で形のないものに、切り込んでいくほどに
今まで見えなかった問題の輪郭が
かすかに浮かび上がる瞬間がある。
だからその瞬間とつながる可能性に
最善を尽くす。
リーダーが示した、忙しさの数値化のプロセスは
形を持たない亡霊との対峙を行う
カウンセリングと同じなのだと。
苔色、藍色、山藍摺
私たちは色とりどりの
「私の色」「私の理解」の中に
常識から抜け落ちていた価値と力を
見つける時代に生きています。
私の色を叫んでも、理解を示さない他者を即
脅威の攻撃対象と見なさないためには
私たちのこころの奥に佇む
理解と尊重に飢え、慟哭している亡霊と
自分自ら、対峙していく必要があります。
戦いたかっただけの亡霊なんていません。
葬り去れなかった苦しみと
ずっと生きてきただけです。
最後に、オンライン・カウンセリング
オンライン・カウンセリングコースでは
私たちのこころに取り憑いている思いに迫り
新しい形を与えていくための
深い自己内省の機会を持ちます。
今まで抱え続けてきた思いの出口や
落とし所を見つけていきたい方は
自分の思いに、まず寄り添う
オンライン・カウンセリングコースをどうぞ。
問題の突破口は
私たちのこころの内側に潜んでいます
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