「あなたには、わかって欲しかった」
少しだけ、寄り添ってほしかった。
けれど実際相手からは、理解も寄り添いもされず
憤りや悲しみを感じたことはありませんか?
シンプルな受容を望んでいたのに
それを踏みにじられた時の衝撃は
時に人間関係に大きな影をもたします。
今回は相手から理解してもらえず
わだかまりを感じている方が意識したい
私たちのこころの内側のお話です。
全てを受けとめる「おおきな木」
何であれ、相手を受けとめる。
そのテーマが描かれているのが
「おおきな木」の絵本です。
「おおきな木」シェル・シルヴァスタイン
このお話は「おおきなリンゴの木」と
一人の少年の物語で、少年が老年期を迎えるまでの
おおきな木との、交流が描かれています。
少年は、おおきな木に甘え
そしておおきな木も、少年が望むなら
自らの木にあるリンゴを与え、枝を与え
最後は自分が「切り株」になろうとも
「それでこの子が、幸せになるのなら」と
彼の願いの全てに、応え続けていきます。
この物語は、私たちがこの少年のように
「自分の望みに耳を傾け、応じてほしい」
と願う、強い要求を持っていること。
そして「おおきな木」が示す
何を拒否せず、自らを切り崩しながらも
相手の全てを受け入れることが
最善の愛情なのかを
問いかけているように思います。
私たちは「聖母」を求める
私たちは幼い頃から
この「おおきな木」の物語のように
優しく慈しみ深い「聖母」のような相手から
「自分の全てを、受けとめてもらいたい」
本能的な欲求を、無意識的に持っています。
これはオーラソーマ、84番ボトル
「風の中のキャンドル」
「母親」に関連しているボトルです。
自分が最も信頼する者から、受けとめてもらい
愛される保証や、安心感を得たいと願う時。
もし私たちが相手から
優しい聖母のような理解と受容を求める場合は
残念ながら、傷ついてしまうかもしれません。
というのも相手も自分も、私たちの
実の母親でさえも、無下に人を扱いもすれば
独善的に振る舞う
聖母でなければ、ただの人の子で
「こういう状況なら、普通はわかってくれる」
といった社会常識を生きてはおらず
己の常識を生きているからです。
「風の中のキャンドル」
必死に手を伸ばし、理解を求めたのに
相手からは予期せぬ反応や、沈黙が戻ってくる。
もしその相手が、親密な人間であればある程
そこで受ける精神的な打撃は
簡単に癒えるものではありません。
けれど自分を、寸分違わず理解する人はいないし
私たちの要求を、完璧に満たしてくれる聖母は
この世界には存在しません。
「そうだね。そんな人
存在しないのはわかってる。
だけどやっぱりあなたには
わかって欲しかった」
「風の中のキャンドル」には
キャンドルの火が、強い風を受け
吹き飛ばされそうになりながらも
なんとかして
その風を受けとめる光景があります。
「なぜ自分をわかってくれなかったのか」
吹きつける冷たい風の中で
激怒の炎で自らを焼き尽くし
人間関係を守るための
温かな火までも、かき消してしまわないように。
誰かから理解され、受け入れられることと
全く受け入れられないこと。
人生ではその2つを、容赦なく背負っている現実を
傷つきながらも受けとめられる
「強さ」に開いていける時
キャンドルの火は、風の中にあっても
消えることはないのかもしれません。
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