「終わらない」と思っていたのに
突然、人間関係が残念な形で
終わってしまったことはありませんか?
あらゆる人間関係には終わりがあり
終わりには暗示があります。
今回は人間関係の終わりにある、裏側のお話です。
その映画を観たのは、10年以上前
けれど今でも
印象に残り続けている作品があります。
フランス映画「ふたりの5つの分かれ路」です。
この映画はある夫婦が
まさに離婚する場面から始まります。
生活に疲弊し、乾ききった中年の夫婦。
これから物語がどう展開するのかと思いきや
この映画が「進む」ことはありません。
夫妻の離婚から始まるこの映画は
離婚→ 結婚生活→ 結婚式→ 交際期間と
時計の針が「戻って」いくのです。
映画の視聴者は、物語のはじめに離婚した夫妻が
話の進行と共に、親愛の情を増していく様子に
奇妙な感覚を覚えます。
と同時に「なぜ2人が破局に向かったのか」
過去へと遡るにつれ、2人の生活にはいくつもの
不穏な暗示が潜んでいたことに気づきます。
エンディングは、2人が初めて出会った海で
浜辺には
「もう何十年も前に撮影したのではないか」
と錯覚する程、若い2人の姿が映しだされます。
映画の冒頭の干からびたような
夫妻からは想像できないほど
夕暮れの海に入っていく2人には
水々しさと希望がありました。
海は「無意識」を表す
心理的な層から見ても、この2人が海で出会い
共に海へと入っていくシーンは象徴的です。
人間関係はお互いの海=「無意識の世界」へと
入っていくようなもの。
勿論私たちは、そんな無意識云々の話は知らずに
「相手がああした」「こう言った」と
現実で起こる出来事に傷ついたり
振り回されるのですが
どんな関係性でも
底辺にあるのは、海=私たちの無意識です。
人間関係の始まりは、海の表面に光があり
「相手はいい人そう」「気が合いそう」など
美しく穏やかなものに見えます。
ですが海には「巨大な水車」が仕掛けられていて
水車は2人の人間の出会いの瞬間から回転を始め
あるタイミングに達すると
互いの海=「無意識に沈んでいたもの」を
海面に引きずり上げていきます。
水車が引きずり上げるものは
今まで海底に沈み、見えなかった
無自覚の習性や欲求。
2人の人間の意識の底にあった
危うさや脆さです。
それらの意識は、海底から飛び出してきた
深海生物のようで混乱させられるものの
水車が引き上げたそれらのもの
もっと言えば
人間関係が終わる、あらゆる要因というのは
2人の人間の始まりの瞬間から
ずっと海の中にありました。
それがある地点で、表面化したにすぎません。
映画「ふたりの5つの分かれ路」の夫婦生活には
海から上がってくる不気味で小さな
「あぶく」がいくつも見え
それらはその時々では、些細なものに見えます。
ですが海から湧き上がり続けるあぶくと
全面的に対峙しなければならなくなった時。
幸福を約束してくれると信じていた
夫婦の関係性は
虫食いの穴がひしめく
葉のようなものだったとわかります。
どれだけ美しい海にも
光が差し込まない闇があります。
人間関係で何らかの闇=違和感を感じた際
「何かがおかしい」と
どれだけ海から湧きあがるあぶく、違和感と
素通りせずに向きあえるか。
「相手は自分の幸福のために必要だから」と
きらびやかな海の表面を
盲目的に眺め続けるのではなく
海の底から、ふつふつと湧き上がる
小さなあぶくを無き物にしない慎重さを持てるか
海は語りかけます。
珊瑚の群生に、泳ぐフグ
サメと出会えば、さようなら
人間関係は海の中
窒息するかもしれない危険と引き換えにしても
人は海に潜るのでしょう。
最後に、オンライン・カウンセリング
人間関係に、丸腰で向かわないこと。
こころの疲れがとれずらく
感情をかきむしられるような関係性では
海の水車がまさに
回っている状態だったりします。
オンラインコースでは
私たちの海=こころの奥に潜む思いを見つめ
回り続ける水車に対し、適切な反応を返せるよう
自分自身と深く向き合っていきます。
少し立ち止まって、こころを労り
前を向いていく土台を育みたい方は
オンライン・カウンセリングをどうぞ