特定の人に、イラつく
こんにちは。Ricorissの、Ricoです。
みなさん
特定の人に苛立つことはありませんか?
今回は、よくわからないけど
見てると苛立つ相手がいる時に。
少し意識したい
自分自身の影についてのお話です。
「影」
こちらはオーラソーマ・15番
「新しい時代の奉仕」というボトルです。
このボトルには「影」という
キーワードが関連しているのですが
「影」の概念は、オーラソーマや
他の心理系カウンセリングでも、重要な視点です。
感情が荒ぶる人間関係では特に
この「影」についての意識が大切なのですが
その前にみなさんは
「裸の王様」のお話を覚えていますか?
仕立て屋に「おバカさんには見えない布」で
衣装を作ってもらった、王様の話です。
王様も家臣もみな
「自分はバカだ」と思われたくない一心で
「自分には衣装が見える」と豪語します。
けれど王様はどう見たって裸で
最後は少年に「王様は裸だ」と叫ばれるのですが
オーラソーマの15番ボトルには
この「裸の王様」に流れるテーマが潜んでいます。
相手にイライラさせられた時
私たちは大抵
「相手の愚かな言動によって
イライラを引き起こされた」と感じます。
けれど、15番ボトルが伝えるのは
「相手」=「問題を引き起こした人」
といった概念の外側にある
自分の「影の部分」に、意識を向ける視点です。
どういうことか、というと
たとえば職場で
「仕事の飲みこみの遅い人」に苛立ち
嫌悪感を抱いているとします。
その時、私たちは
「仕事を覚えるのが、難しいのはわかるけど
いくらなんでも、覚えるの遅すぎるし
正直イラつく」
といった一見
筋の通った思いを、抱くかもしれません。
ですがここで15番ボトルの
「影」の視点を通して、状況を見ていくと
処理能力の低さ・遅さに苛つく、というのは
- 自分自身が全般的にせっかちで
「基本、全てを早く済ますべき」と
個人的な信念を持っていたり - 「一度、方法論を習ったら
次回から、そつなくこなすべき」など
やたら自分基準の飲み込みの早さや
要領の良さを、他者に求めているからこそ
スローペースで、物覚えが得意でない相手に
殊更、苛立ちを感じるのかもしれません。
早さと、遅さ。要領の良さと、不器用さ。
全てにおいて、個人差があり
力の限り「早さ」を改善しようとする人もいれば
別に何とも思わない方もいます。
ですが私たちが
相手の立ち位置や、考え方を考慮せず
なおかつ自覚していないだけで
実は偏った個人的意識を
他者に振りかざしてしまう場合。
「自分基準」を満たさない人々に対し
「この人だめだ」と、批判する状況が起こります。
そしてこれが、15番ボトルの伝える「影」です。
特定の誰かに苛立ち、怒りを感じている時は
「その状況の背後に
自分の影になっている部分はないか?」
15番ボトルは問いかけます。
ちなみにこれは、心理学でいう「投影」
自分の影になっている部分が、他者を通して
鏡のように映し出される現象です。
私たちは日常で実は
この投影を星の数ほど、発動させているため
自らの影を見つめる姿勢は大切なのですが
それは非常に、難しいことでもあります。
「なぜなら誰も、自分の影など見たくない」
ここで話は戻り「裸の王様」で
王様や家臣達が、己の名誉を傷つけまいとして
王様が裸である事実を、伏したのと同様に
私たちは自分の「影」になっている部分
自分の真実が、あぶりだされるような
領域に向き合う時。
最もえぐられたくない部分を
さらけ出されるような感覚を伴うため
「自分の影」の認識を
極力、避けようとする意識が働きます。
けれど自分の「影」を背負った人物が
目の前に現れている、というのは一方で
こころの内側で凝り固まり、人間関係に
悪影響を与えていた、特定の意識を手放す
「解放」を促すサインでもあります。
もし今の状況に
「自分の影を見る」新しい視点を持ち込めるなら
- その状況で
自分は何を許せないのか - 「こうすべき、こうあるべき」
など固定観念を持っていないか - その観念は本当に正しいのかに
意識を向けてみるといいかもしれません。
相手への苛立ちが大きい場合は
「自分の影がどうの」と言われても
「何をどう考えても、悪いのは相手だ」
と一刀両断したいのが普通です。
ですがそこであえて
自分の意識を広げるかもしれない、新しい視点。
「自分の影」を意識する視点を加えてみると
そこに状況を切り開く、ブレイクスルーポイントを
見つけるのかもしれません。