今の生活、何かが違う気がして
犬じゃない気がして
こんにちは。Ricorissの、Ricoです。
みなさんは今いる場所に
していることに、喜びはありますか?
今回は周りに流されやすく
人の意見に沿うようにして生きてきたけど
今の生活に、生き方に違和感を感じている。
何らかの変化を起こしたい方へのお話です。
ある女性の物語
先日テレビで、織田信長の叔母にあたる
「おつやの方」と呼ばれる、女城主の話を見ました。
信長の叔母といっても、信長と年齢は変わらず
幼少時代を共にすごした仲だそうです。
おつやの方は成人すると、小田家を守るべく
政略結婚で2回、嫁ぐのですが
そのどちらもが、夫の早世によって終焉を迎えます。
そうして信長に頼まれた、3回目の政略結婚では
岐阜県の山頂にある、岩村城に嫁ぐこととなります。
自分の意志とは無関係に、他者の選択によって
道を定められてきた、おつやの方。
ですが3回目の結婚の地、岩村城で
彼女は劇的な転機を迎えます
訪れた転機
ある時、おつやの方の住む岩村城は
領土争いの末、武田信玄側の武将
虎繁に、攻められてしまいます。
争いの最中、不幸にも城主である夫は病死し
おつやの方は女城主となり
戦いの指揮をとることを、余儀なくされます。
ですが戦いは長引き、兵力は次第に弱まり
食糧難で死者が出始めた、絶体絶命の時。
突然、敵武将の虎繁から
「民の命は救おう。
けれど代わりに城を明け渡し
自分の妻になって欲しい」と
歴史上、類をみない
敵将からのプロポーズを受けます。
その時、おつやの方は何を思ったのでしょう。
「ここで全員死ぬか
最大の屈辱ではあるが、敵の条件を飲むか」
そうして苦悶の末、彼女がくだした決断は
その申し出を受けることでした。
それは今まで、将棋の駒のように動かされ
自らの意思とは無関係に生きてきた彼女が
城の当主として、一個人として
初めてくだした決断でした。
待ち構えていた結末
伝記によると、おつやの方は敵将・虎繁との間に
一男を授かり、夫妻の生活は意外にも
「悦」 ー喜びであったーと、記されています。
2人共、美貌の持ち主だったそうで
お似合いの夫妻だったのかもしれません。
ですが結果的に、信長の叔母にも関わらず
「敵将に寝返った女城主」として
信長の逆鱗に触れ
岩村城は信長軍に攻められ
夫もおつやの方も、河川敷で磔にされ
処刑されたと言われています。
「守るべきものを、守るために」
人生でおそらく初めて、自らの意思を持ち
選択した道の先にあったものが、処刑だった。
あまりも無情な結末ですが
おつやの方の話の最後には
「観音菩薩像」が登場します。
この観音菩薩像は「この子だけは守る」と
幼い息子を城から避難させる際
おつやの方が、息子に手渡したもので
この息子は観音像とともに
戦火を生き延びたそうです。
今もなお、岐阜県に現存する
その観音菩薩像を見て思ったのは
彼女が敵将の妻になる決断を下さなければ
やがては信長の援軍が加勢に来て
多くの民も、おつやの方も助かり
生き永らえたのかもしれない、ということ。
けれどその場合
自らの子を授かることもなければ
伝記に「悦」と記されるような
人生を送れたかはわからず
彼女にとって、何が幸せであったかは
結局、誰にもわからないのだと思いました。
当時、個人の人生は社会に翻弄され
自らの意思を生きるなど
命がけだったのかもしれません。
おつやの方は、自分の意思によって
「悦」と記される生活を手にいれますが
代償として、命は散ってしまいます。
けれど戦国の動乱の中、自らの意思を
命がけで生きようとした、一人の女性の思いが
息子と共に生き続けた、観音菩薩像の中に
宿っている気がしました。
オーラソーマにも、観音菩薩に関するボトルがある
60番ボトル「老子と観音」です。
人生に敷かれたレールを外れて
自らの意思を生きる。
それは並大抵のことではありせん。
「老子と観音」のボトル、下層のクリアーには
自らの道を歩むのに伴う
「涙や苦しみ」を連想することができます。
けれどこのボトルの上層には
「それでもあなたが
真に歩むべき道を歩めるように」と
「天上の世界、意識」に関連した
ご加護のような、ブルーがあります。
観音菩薩の名前には
「世界の叫びに、耳を澄ますもの」
という意味があります。
これから、今まで属していた場所や
誰かに定められた道を歩き続けるのではなく
「自らの意思で、道を切り開きたい」
と願う方に。
その道中、直面するかもしれない苦しみに
けれどその道でしか、手に入れることができない
「悦び」に辿り着けるよう
観音菩薩のブルー
大きな加護があることを、願ってやみません。
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